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特集・なごやエコ最前線

アユとひとが織りなす物語~長良川の営みから環境を考える(続き)~

今年もアユの季節が終わった。秋になると、アユは産卵のため上中流より下る。このときの「落ちアユ」を捕える独特な漁が長良川では行われ、風物詩となっている。中流のあたりの川床に産み付けられた卵からふ化した仔魚は、流れにのって海へ降り、冬の間に動物プランクトンを食べてすくすくと育つ。春になると、稚魚の群れが河口から遡上し、石にはえた苔を食べてどんどん大きくなり、夏には立派な成魚になる。「年魚」と呼ばれるアユは、こうした一生を四季の間に送る。漁で捕ったり、資源が絶えないよう守ったり、その命に感謝をしたり、この魚を通して自然とひとをむすぶ営みが、長良川にはまだ残っている。アユが新たな命を川に宿し最期を迎える、秋から冬にかけての様子を振り返って伝えたい。

掲載日
2017-12-22
取材・文
新美 貴資
音と色でアユを脅し捕える伝統漁法

岐阜県岐阜市の鏡島地区では、秋になると瀬張網漁が盛んに行われる。この漁は、音と色でアユを脅し捕える、伝統的な漁法である。川の瀬を、等間隔に打ち込まれた鉄の杭が横断し、杭と杭をロープが水面の高さのあたりで結んでいる。ロープは流れによって弓形に伸びるが、張力が働いて元にもどろうとする。このときに水面をぱしんと叩き、音を発する。何本も立つ杭と杭をつなぐロープが規則的な動きを繰り返し、音が鳴り続ける。川底には、杭にそって石を詰めた白いビニール袋が沈められている。産卵のため、川を下ろうとするアユの群れは、この音と色に驚いて、仕掛けの上流側に滞留する。そのときを狙って漁師は網を投げ、魚を捕えるのである。

日が傾く前に訪れると、何人かの漁師が川のなかで網を手に、じっと魚を待ち構えていた。しばらくすると、網の一つが空中に舞って広がり、水のなかに消えた。一瞬を逃さない、わずかな間のことである。引き揚げる網には、何匹もアユがかかっているのが見えた。

「大きな波がきたら打つ。大きい波のときの魚は大きい」。浅いところにアユが来ると、水面が持ち上がるという。そのときの様子から、アユの群れや魚体の大きさを把握し、網を投げる。毎日川を見続けている漁師にはわかるのだ。アユは生かしたまま捕らえる。網を外すのに手間取ったり、外し方が悪かったりすると、弱って死んでしまう。網にかかったアユをいかに早く外すか。捕った後の作業にも熟練さが求められる。捕れたアユを触らせてもらった。夏の頃よりもオスは体表がざらざらとして黒みが増し、メスはつるつるで腹がふっくらとしていた。

アユの資源を守る漁師たちの取り組み

また別のある日、鏡島地区ではアユの人工ふ化の種付けが朝から行われていた。川の浅瀬では、地元の漁業関係者らが作業を進めている。ベテランの漁師によると、この取り組みは大正の頃から続いているという。漁師たちは、慣れた手つきで生きたメスのアユを手にとる。腹をおさえると、黄色い卵がびゅっと勢いよく飛び出した。しぼりとった卵をためる容器のかさが、どんどん増していく。そしてオスから採取した精液と攪拌して受精卵をつくる。さらに川の水で満たした大きなバケツのなかに、受精卵を少し足してはシュロの樹皮をくぐらせて、卵を付着させていく。たくさんの新たな命を抱える樹皮には、小さな卵がびっしりと付いていた。

受精卵が付着したシュロの樹皮は、川のなかに3日くらい沈めてから、三重県桑名市の河口堰近くにある人工河川に移す。堰が建設されてから下流の流れが遅くなってしまったため、ふ化した仔魚が海に降れるよう助けているのである。生まれたばかりの仔魚にある、栄養源となる卵黄は4日くらいしかもたない。それまでに流れに乗って海にたどり着かないと、アユは死んでしまうのだ。人工河川に運んでからふ化するまでの10日くらい、漁師たちは毎日交代でやってきて、卵についた汚れを落とす。無事に孵るまで、大切に守り育てている。

アユの産卵を観察する

岐阜市の元浜町で「鮎の産卵を見る会」が開かれた。27年前から毎年、開かれている催しである。場所は、長良橋から400メートルくらい下流の河原で、集まった人びとは、水中から送られる映像からアユの産卵の様子を観察した。アユの産卵は、暗くなってくると始まる。この会を行うフォトエコロジストの新村安雄さんは、日が没する10分くらい前の午後4時47分が、ちょうど産卵を見ることができるタイミングであると予告する。ちょうどその時刻になったとき、アユが体をぶるぶるとふるわせた。メスが河床に卵を産んでオスが放精したのは、一瞬のこと。産卵の光景を目の当たりにした大人も子どもも、スクリーンに映し出されるアユの群れを、じっと見入っていた。

市内の河渡橋は、たくさんの車が走り、自転車に乗った人びとが行き交う。その下に降りてみると、時折ぴょんぴょんと水面をはねる魚が目にとまった。水のなかをのぞいてみると、たくさんのアユがゆっくりと泳いでいた。そこは流れのゆるやかなよどみになっていて、アユたちは夜からの産卵に備えて、体を休ませていたのかもしれない。しばらく観察していると、大きな群れは産卵場に向かおうとしたのか、あるときを境に慌ただしく泳ぎ始め、あっという間に姿を消してしまった。

岐阜市の長良川は、やわらかい砂が河床にあり、アユの産卵する場に適している。長良川のアユは、ここで生まれ死ぬのである。40万人が暮らす都市を流れる川のなかは、外とはまた違った世界が広がっている。最期の力をふりしぼり、新たな命へとつなぐ懸命な営みが続いていた。

自然からの恵みに感謝する

岐阜市中央卸売市場で魚供養祭が行われた。市場では、私たちの食べる水産物が日々売り買いされ、たくさんの命が扱われている。漁のシーズン中には、長良川で捕れた天然アユも多く入荷し、競りにかけられる。取引の終わった昼間の静かな荷捌き場で、約50人の市場関係者が参加し、供養がしめやかに行われた。

この供養祭は、30年くらい前から開かれている。「命を扱う感謝の意味を込め、正月が近づいて関連商品が入るこの時期を選んで行っています」と、市場の開設者である岐阜市の担当者は説明する。出席していた仲卸業者は「タイ、ヒラメ、カンパチなどの生きた魚を市場で締めている。市場は命をいただく場です」と語った。神事の後、出席者は移動し、市内の長良川でウナギとコイを放流した。

たくさんの客が訪れアユ料理を食べる、長良川の支流である岐阜県関市の板取川にある洞戸観光ヤナでも、鮎供養が行われた。敷地内には、魚供養塔と水神を祭る石碑がある。板取川沿いにある他のアユ料理屋にも、鮎塚があった。長良川とその支流の各地では、恩恵を受けてきた人びとの手によって、自然からの恵みに感謝する神事や催しが行われ、またこうした思いを形にした石碑や塚が建てられている。

アユをめぐる人びとの暮らしがある

いつしか自然とひととの距離が遠くなり、固有の風土から培われ、伝承されてきた技術や知恵がそこかしこで失われようとしている。昔から続いてきた瀬張網漁も、魚の習性と漁場の環境を活かし、先人たちが生みだし継承してきた伝統の一つである。長良川には、そんな漁がいくつもある。環境の悪化による漁獲量の減少や魚価の低迷などから、川の守り人である漁師の数はわずかとなり、高齢化がますます進んでいる。それでもアユをめぐるさまざまな人びとの暮らしは今もあり、物語をつむいでいる。そんな長良川での営みから、私たちが学べることはきっとたくさんあるはずだ。

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