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人と自然をむすぶウナギ その魅力と愛知とのつながりを探る

取材・文 新美 貴資
  • 自然

人気を集めるウナギの蒲焼。都心から郊外まで蒲焼を提供する多くの店がのれんを掲げ、味を競っている。単一の魚種の中で、専門店による商いが広く成り立つ唯一の魚であるウナギ。重要な水産資源であり、その生態には謎が多く、地域のさまざまな文化とも深くかかわる。ウナギの魅力やこの地方とのつながりを紹介し、この魚を通して見えてくる社会や環境のことにも触れてみたい。

尾張は昔からウナギがよく捕れた

ウナギと愛知県は、深くむすびついている。西尾市一色町や豊橋市などは、昔から養鰻が盛んだ。県内には、うな丼やひつまぶしなどのウナギ料理を提供する専門店が数多くあり、都心を中心に出店が相次いでいる。生産と消費の両方がこれほど盛んな県は、ほかにないだろう。

尾張地方は、昔から天然ウナギがよく捕れた。江戸時代に尾張の特産品を記した番付『鯱名物』には、〈かに江うなぎ〉が載っている(青木美智男編『決定版 番付集成』柏書房、2009年)。同じく江戸時代に尾張藩が産物を調査してまとめた『尾張産物誌』(名古屋市教育委員会『名古屋叢書 第11巻』1962 年)には、尾張にあった八郡のすべてに〈うなぎ〉が記載されている。このことから、尾張の全域にウナギが生息していたことがわかる。また、昭和時代の中頃まで漁業が盛んだった名古屋市中川区の下之一色では、ウナギを捕る漁法があり、多くが水揚げされていた。

名古屋のウナギ料理の特徴の一つに、たれに使う「たまり」がある。たまりは、東海地方で生産される、大豆を原料にした濃厚なしょうゆの一種。愛知は、しょうゆやみそなどを作る醸造業が昔から盛んである。発酵学者の小泉武夫氏は、この地方のたまりを使う食を「うま口文化」だといっている(小泉武夫「東海の食の文化の特徴」森浩一編『日本の食文化に歴史を読む』中日出版社、2008年)。この地方のウナギの多くは、伝統的に関西と同じ「腹開き」で、関東のように蒸さない「地焼き」によって調理されている。

わたしたちが食べるウナギは、稚魚を捕る漁業者、育てる養鰻業者、集めて選別し運ぶ問屋など、いくつもの業者をへている。また、うな丼を作るまでには、米、たまり、みりん、ウナギ包丁、炭、丼など、食材や食器のほか、多くの道具が使われている。ウナギの食文化には、その土地の歴史と風土があり、人びとによって培われてきたたくさんの技術が凝縮されているのである。

人気を集めるうな丼

ウナギの棲む川には豊かな生態系がある

ウナギとの初めての出会いは、小学生のころまでさかのぼる。今から40年くらい前、友達と千種区の猫ヶ洞池でミミズを餌に釣りをしていた。浮きが水面から消え、竿を持ち上げると大きなウナギがかかっていて驚いた。このウナギは、池までどのようにしてやってきたのだろうか。

ニホンウナギの産卵場は、太平洋の北西部、フィリピンの東方のマリアナ海嶺の海山である。この海域でふ化した稚魚は、海流にのって北上し、日本の近海までやってきた。そして、伊勢湾の奥にたどりつき、幼魚へと成長。猫ヶ洞池と通じる川を上ってきたに違いない。そうだとしたら、このウナギは約3000キロも離れた、遠い太平洋から名古屋の池まで旅をしてきたことになる。

猫ヶ洞池は、名古屋市内を流れる山崎川の源流である。わたしが子どもの時に釣り上げたウナギは、この川を上り、池までやってきた可能性がある。山崎川は、千種区から昭和区、瑞穂区、南区を流れて名古屋港に注いでいる。この川の下流は環境の変化に乏しく、生き物にやさしいとはいえないが、十分な水の量があり、川幅も一定の広さがある。中流は河原があり、変化にとんだ流れや水際もあることから多自然な川づくりが反映されている印象を受けた。上流になるとあたりは人家が密集し、川幅も狭く、流れる水の量は少なくなる。洪水による水害を防ぐためであろう、川底と両岸の三面はコンクリートで固められ、排水の機能を優先した構造となっていた。上流の千種区の本山駅付近から池のある池上町までの約1キロは、昭和50年代より暗きょになっている。

小さなウナギは凹凸のある湿った壁をよじ登ることができる。わずかでも水が流れてさえいれば、若齢の生命力にあふれたウナギであればぐんぐん上っていくのではないか。名古屋を流れる川の生き物に詳しい人に聞くと、山崎川に今もウナギは生息しているという。だとしたら、猫ヶ洞池にウナギがいる可能性はゼロではない。河川の生態系の最上位にあるウナギが存在するということは、山崎川の少なくとも一部の流域にはウナギの餌となる小魚やエビ、水生昆虫やミミズなどがいて、そうした生きものたちが暮らす生態系がそこにはあるはずである。ウナギの棲める川は、周辺の水辺や陸域も含めて、多くの生きものが生息できる比較的豊かな環境といえるだろう。

山崎川の下流(南区)
山崎川の上流(千種区の本山駅付近)

県内各地に残る地名と伝説

愛知県とウナギのつながりの深さは、地名からも読み取れる。愛知には「鰻」のつく地名が多くある。「鰻廻間」(名古屋市)、「鰻谷」(小牧市)、「鰻池」(岡崎市)など、その数は10ケ所を超え、県内の各地に点在する。たとえば隣県の岐阜、三重には、これまでに調べた限りにおいて鰻のつく地名は見つかっていない。三重県では1ケ所、かつてあった河川の名前(鰻江川、桑名市)が見つかった。

ではなぜ地名に鰻がつけられたのだろう。もともとその地にあった「うなぎ」に似た呼び名が、時代とともに「うなぎ」に変化し、そこに鰻の字があてられた可能性がある。馴染みのない魚の名を、その土地に暮らす人間が地名に採用するとは思えない。そうだとしたら、鰻のつく地名のあたりは昔からウナギが多くいて、住民とこの魚とのかかわりが深かったことを意味しているのではないか。ちなみに名古屋市東区には、かつて「蒲焼町」があった。その命名のいわれには諸説あるが、ウナギとなんらかの関係のあったことが示唆される。

愛知とウナギのつながりを示すものは、地名以外にもある。県内には、ウナギにまつわる伝説や昔話がいくつか残っている。岡崎市羽根町には、老婆に化けた大鰻が現れ、住民によって退治された「雨ごい石」という話が伝わっている。豊川市長沢町には、人びとを悩ませていた大鰻の化け物を坂上田村麻呂が退治し、住民がほこらを建て供養した話が残っている。江戸時代の尾張の地誌『小治田之真清水』には、現在の名古屋市内の中川運河に巨大なウナギが現れ、捕まえようと縄でくくり5、6人で引っ張ろうとしたが動かず、逃してしまったとの記述がある(「中川で巨大うなぎ発見!?名古屋の鰻・蒲焼事情 江戸時代編」『中川区情報スポットライト第2弾「中川運河の前身 笈瀬川・中川」』中川図書館、2012年、名古屋市図書館ホームページより)。地名や伝説などの歴史の遺物のなかに、人とウナギの古くからの関係を示す手がかりが隠されていると考える。

民俗学者の早川孝太郎は、わが国にはウナギを水の神、またはその使いとする信仰があると書いている(『旅と伝説』193号、岩崎美術社、1944年)。ウナギは神にもなり、化け物にもなる。強靭な生命力と特異な体躯、そして謎の多い生態は、人びとに敬いと畏れを抱かせたに違いない。

大山川が流れる小牧市の鰻谷付近
大鰻の化け物が現れたと伝わる豊川市長沢町

持続できる環境を考える

現在、日本の国内で流通するウナギ(ニホンウナギ、アメリカウナギなど)の多くは、海外からの輸入に依存している。昨年は、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)の締約国会議で、ウナギ全種を国際取引の規制対象とする提案がだされ、注目を集めた。この提案は否決されたが、ウナギの主要な消費国である日本には、ウナギ資源を守る責任がある。

日本を含めた東アジアに生息するニホンウナギについては、絶滅を危惧する声が一部であがっている。ニホンウナギは、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで「近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの」と評価され、「絶滅危惧種ⅠB類」に指定されている。資源の減少には、気候変動による海流の変化、河川や沿岸の生息域の消失、河川の横断構造物による移動の阻害、乱獲など、いくつかの要因があげられる。

ウナギを守りながら利用するために、国内では稚魚であるシラスウナギを養殖池に入れる数量の上限設定や、ウナギの棲みかとなる石倉増殖礁の河川への設置などのさまざまな取り組みが進められているが、消費者にもできることがあるはずだ。毎年、夏の土用の丑の日には、量販店などでウナギの蒲焼が特売されるが、売れ残った商品の大量廃棄の問題が指摘されている。長く続いてきた慣習が、持続的な利用をさまたげているとしたら、それは食文化の衰退を招く行為である。今の偏った消費のあり方でよいのか、生産や販売をする側だけでなく、食べる側もこの問題について考える必要がある。消費者も含めたウナギにかかわる関係者が一緒になって考えることで有効な対策が生まれ、捨てられてしまうウナギが減ることを期待したい。

ウナギは、森と川と海をつなぐだけでなく、水を介して人と自然をむすぶ象徴といえる魚である。この魚を守ることは、自然界、そしてその中で生きるわたしたち人間を守ることにもつながるはずである。自分の住んでいるところの近くを流れる川を見てほしい。そこにウナギはいるだろうか。魅力あふれるこの生きものから学び、持続できる社会や環境を考え、できることに取り組んでいきたいと思う。

山崎川の中流(瑞穂区)