ENVIRONMENTALCOLUMN 環境情報を知りたい方/環境コラム

名古屋で出会える生物多様性

取材・文 吉野 隆子
  • 自然

「生物多様性」という言葉から、どんな風景が思い浮かぶだろう。たくさんの野生生物が群れなしている草原?多くの鳥がやってくる広大な干潟? もちろんそこには、豊かな生物多様性がある。でも、私たちの身近な場所である名古屋市内にも、多様な生物がバランスよく共生している場所があるのをご存じだろうか。

クロガネモチの木の下で

名古屋市守山区中志段味??庄内川の堤防沿いから細い小道を入った竹藪の裏手。野田家はここで、江戸時代から米を作っていた。今は、農場主の野田輝己さんと娘婿の茂生(しげき)さんが10ヘクタールの田んぼ* で米を作り、輝己さんの妻 幸子さんと娘の留美さんが、ほぼ無農薬** に近い形でトマトを栽培している。

農場のシンボルともなっている、樹齢100年以上の大きなクロガネモチの木の下の鬱蒼とした小道を歩くと、ハグロトンボがそこここでヒラヒラと舞っては降りてくる。ハグロトンボは水草の多いゆるやかな流れの川で卵を産むとされているが、虫の生態にくわしい人に見ていただいたところでは、野田さんの田んぼで卵を産みヤゴが育まれているようだとのこと。この日はわずかな間に、イトトンボ・シオカラトンボ・ムギワラトンボ・アカトンボ、ギンヤンマなどの、なつかしいトンボたちに出会うことができた。

* 10ヘクタールの田んぼ:多くは自分の土地ではなく作業受託
** ほぼ無農薬:今年は1回だけ農薬を使用

野田農場を支える2家族
クロガネモチの木 福来柴(フクラシバ)とも呼ばれる
ハグロトンボ

自然を感じ、五感を呼び覚ます場所

野田農場の田んぼでは、農薬を使っていない。だから、さまざまな生き物が田んぼの中やその周囲で息づいている。田んぼをのぞくと、ダルマガエルと目が合った。環境省が絶滅危惧種に指定しているカエルだ。田んぼの周囲を歩くと、名古屋市の絶滅危惧種トノサマガエルが高くジャンプしながら逃げていく。アメンボが水面をすべり、メダカが泳ぐ。

水面には小さな水草が浮いている。「これはシャジクモで、ハート型をしているのがイチョウウキゴケ。日本のコケの仲間で水に浮いているのはこれだけだよ。昔はどこの田んぼにもあったんだけど、今は絶滅危惧種だって」と輝己さん。かつては日本全国で当たり前に見かけたというこのコケは、池や川の水が富栄養化したり、田んぼに農薬を散布したりしてきた影響で、すっかり減ってしまった。とりたてて絶滅危惧種を見つけようとしているわけではないのだが、野田農場のあちこちにさりげなく存在していることに驚かされる。

個々の絶滅危惧種はもちろん大切にしなくてはいけない存在だが、それらが野田農場にいま存在しているのは、ここにできあがっている絶妙な自然のバランスがあってのこと。人間は自然のバランスを壊すことはできても、同じバランス状態にある自然を作ることはできないのだ。

野田農場では年に数回、子どもを中心に近所の人たちを農場に招いて、『田んぼで遊ぼう会』を行っている。写真はこの7月に行った遊ぼう会の様子だが、子どもたちが田んぼのどろんこの中で自然を感じ、五感を呼び覚まされていく様子が伝わってくるようだ。春には田植えや成りはじめのトマトの収穫、秋には自分たちが遊んだ田んぼで育まれた米を自分たちの手で刈り取る。餅つき大会やしめ縄づくり、ひな祭りの前には地元で昔から行われている蒸した米粉を木型に入れて作るおこしものづくり…。子どもにとっても、おとなにとっても、食卓と環境がつながっていることを体感する場となっている。

ダルマガエル トノサマガエルに似ているが脚が短く跳躍力がない
アメンボ
小さな水草の合間に見える少し大きなハート型の水草がイチョウウキゴケ
シャジクモ

8月中旬の野田農場。稲穂が出て収穫は間近
田んぼで遊ぼう会
近所の親子がやってくる
子どもたちはどろんこ遊びが大好き

生き物調査で感じる生物多様性

生産者と消費者が一緒に田んぼで生物多様性を感じることのできる場として、田んぼの生き物調査が各地で行われている。今年初夏に自分の田んぼで生き物調査を行った、愛媛県今治市の有機農家 長尾見二(けんじ)さんからお話しをうかがう機会があった。生き物調査を行った結果、各地の田んぼで調査を行ってきた生き物調査のプロ中のプロ、NPO田んぼの岩渕成紀さんから、「長尾さんの田んぼは、生き物のバランスが理想的状態にある田んぼ」とのお墨付きをいただいたのだという。「うれしかった。これまで三十年以上有機農業を続けてきた結果が、目に見える形で示されたのだから」

 田んぼの生き物として数が多いといいとされているのは、ユスリカやイトミミズだ。しかし、長尾さんによれば、「最初はたくさんいてもいい。でも、増えすぎると田んぼが酸欠状態になる。ゲンゴロウやガムシが増えてイトミミズを食べるようになるとバランスがよくなるよ」。

昨年秋、今治地方に稲の害虫ウンカが大量に発生した。農薬を散布している慣行農法の田んぼには大きな被害が出たが、不思議なことに有機農法の田んぼには被害が出なかったという。

「有機の田んぼにはウンカイトセンチュウという虫がいる。この虫がウンカを病気にして殺すんだ。それで被害が出なかったんだね。ウンカがいなければ、ウンカイトセンチュウは生きられないんだよ」

 ウンカだけに着目すれば、いない方が田んぼの管理は楽だろう。しかし、ウンカを必要とする虫が田んぼにいて、それをまた食べる虫がいる、というような、食物連鎖の輪ができてバランスがとれる状態になっていれば、多様な生き物たちが田んぼの状態を調整してくれる。後は水管理だけ。農薬はいらない。だから田んぼには手がかからないと長尾さんは言う。

「有機農業で田んぼがいい状態になって、1枚の田んぼからとれる米の量を欲張らずに稲の間隔をあけて栽培すれば、管理が驚くほど楽になって、労力は1/3で済む。有機での栽培は手がかかって大変だと言う人がいるけれど、そうではないことはうちの田んぼを見てもらえばわかるだろう。気候変動にも強いよ」

ただ生き物の種類が多いだけではなく、多様な生き物たちのバランスがとれていること。それが、田んぼにあるべき生物多様性の大切な条件となる。毎日の食卓に欠かせない米を通して、田んぼに広がっている生物多様性が見えてきた。

長尾見二さんと田んぼ

うるおいの森に見る多様性

名古屋市内の里山の様子を知ろうと、なごや東山の森づくりの会の滝川正子さんたちと東山の森を歩いた。木もれ日がさし込み、木の下を覆う笹が風にざわざわと揺れる小道を進むにつれ、すっかりハイキング気分になっていく。時折、木々の合間から聞こえる車の走る音が、街中にいることを思い出させる。

うるおいの森に入ってしばらく下っていったところに、天白渓湿地があった。東海豪雨で流れ込んだ土砂に埋まっていたのを、森作りの会のメンバーが土砂を取り除き小さな池を復元した。一気に水が流れこまないように沢筋に小さな段差をつけ、湿地の生き物が休眠状態になる冬には、池に日があたるように鬱蒼とした木々を刈り込み、土をかきまぜ空気を入れている。こうした活動を積み重ね、一時は少なくなっていた湿地性の生き物が増えてきている。

森の手入れは繁り過ぎて林床を暗くしている竹や倒木を整理して下草を刈り、日光が届くようにする。本来ないはずの外来種は取り除く。草刈り場という言葉からわかるように、かつては草を1本たりとものこさず刈っていた。そして積み上げて堆肥にして、循環させていた。

広葉樹は10年から20年ごとに根を残して伐採し、薪や木炭として利用していた。残された根から再び芽が出て木が育っていく。そして10〜20年が経過すると、再び伐採して利用する。森には更新が不可欠なのだ。森を更新し、きちんと草を刈って手入れをすれば、さまざまな植物や、里山にすむ小動物の生息環境が維持される。そこに、ドジョウ〜ヒメタイコウチなどの水生動物〜さまざまな昆虫〜両生類〜ヘビというような食物連鎖の環が生まれる。手をかけただけ生態系は豊かになり、たくさんの生き物が生きられる場を生み出すことができるのだ。

うるおいの森

くらしの森からの問いかけ

東山公園南部のくらしの森は、細長く谷が入り込んだ地形。かつてはゆるやかな棚田だった場所が耕作放棄され、いまは深い草や竹林に覆われている。いま、この谷に谷津田を復活させる動きがある。

「きれいな水や食料が、どうやって自分のところにやってくるのか、街に住む私たちは知るべきだと思う。里山が身近になり、そこに田んぼができれば、自分の暮らしを見直し、考える機会になるはず。東山に水田を復活することで、自然からの恩恵に気づく入口になれば、というのが私の願い。農作物がある水辺と、きちんと手入れされた明るい雑木林がある里山の生み出す世界は、多様性そのものとも言えるし」と滝川さん。

田んぼや畑は里地とも言われ、里山と合わせて『里地里山』と呼ばれている。これは、本来この2つを分けて考えるのではなく、一体化したものとしてとらえようということであり、その一例として、ラムサール条約に指定された宮城県の蕪栗沼が、沼だけではなく周囲の里地と合わせて指定されたことがあげられる。田んぼの復活によって、東山の森にさらに豊かな里地里山をとり戻すことができるだろうか。

くらしの森から名駅方面を臨む

私たちの住む名古屋市内に存在する田んぼや里山は、私たちが生物多様性を感じ、理解するための、よりどころとしてますます価値ある場所となっていくことだろう。名古屋にはまだこんなに生物多様性に満ちた場所があるのだ。