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特集・なごやエコ最前線

ごみ非常事態宣言から20年、次世代に伝えたいこと

名古屋市がごみ非常事態宣言を出したのは1999年2月のこと。藤前干潟をごみの埋立処分場にする計画を断念したことに端を発する。市民によって守られた藤前干潟は、2002年に特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録され、環境学習の場として多くの市民が訪れている。

一方、2年間で20%のごみ減量を呼びかけたごみ非常事態宣言の結果は、2000年8月から始まったプラスチック製・紙製容器包装の収集等が功を奏し、2年間(2001年3月末)で目標を超える23%の減量に成功した。

さて、20年経って市民も入れ替わり、ごみ非常事態宣言を知らない人も増えてきた。海のプラスチックごみなど、新しく国際的にクローズアップされている環境問題もある。人も変わり、時代も変わる中で、変わらず伝えていきたいことは何か。20年を振り返り、改めて心にとめておきたい。

掲載日
2019-02-06
取材・文
浜口 美穂
20年のごみ減量のあゆみ

本シリーズ「なごやエコ最前線」第1回は、2004年に筆者が書いた「名古屋ごみ減物語」。ごみ非常事態宣言から6年間のごみ減量のあゆみを伝えている。リサイクルにより大幅減量を果たした「ごみ減量先進都市」から、レジ袋削減など発生抑制に取り組む「環境首都」へのステップアップを目指した時期だった。それも含めて20年の名古屋市のごみ減量のあゆみを簡単に年表で振り返ってみよう。

年月名古屋市のごみ減量のあゆみ国の法律
1997(平成9)年 4月 容器包装リサイクル法施行
1998(平成10)年 11月 粗大ごみの有料化の実施
1999(平成11)年 2月 「ごみ非常事態宣言」発表
5月 空きびん・空き缶の資源収集を全市に拡大
10月 ごみ指定袋制の導入
2000(平成12)年 4月 事業系ごみ全量有料化の実施
8月 プラスチック製・紙製容器包装、ペットボトルの収集を開始(2週間に1回)
2001(平成13年) 1月 循環型社会形成推進基本法施行
4月 家電リサイクル法・グリーン購入法施行
5月 食品リサイクル法施行
2002(平成14)年 5月 「脱レジ袋宣言」発表 建設リサイクル法施行
2003(平成15)年 5月 自治体環境グランプリで環境大臣賞とグランプリを220万市民と市が連名で受賞
10月 レジ袋削減のための共通シール還元制度「エコクーぴょん」開始(2009年3月終了)
2005(平成17)年 1月 自動車リサイクル法施行
2007(平成19)年 10月 緑区で「レジ袋有料化促進モデル事業」開始
2008(平成20)年 10月 レジ袋有料化を東部8区に拡大
2009(平成21)年 4月 レジ袋有料化を全市に拡大
2011(平成23)年 4月 プラスチック製品を不燃ごみから可燃ごみへ区分変更
2013(平成25)年 4月 小型家電リサイクル法施行
2014(平成26)年 2月 小型家電の回収を開始
2016(平成28)年 11月 食品ロス削減の取り組みとして「30・10(さんまるいちまる)運動」の推進開始
2017(平成29)年 5月 フードドライブ常設拠点(環境学習センター)の開設
9月 食べ残しゼロ協力店登録制度開始

(参考資料:名古屋市発行「ごみ非常事態宣言20周年 GO!MIRAI」)

最近の新しい課題として、食品ロスの削減にも取り組んでいる。食品ロスは、2015年9月の国連サミットで採択されたSDGs(エス・ディー・ジーズ:持続可能な開発目標)でも目標設定され、国際的にも取り組みの重要性が高まっている。2017年から始まった食べ残しゼロ協力店* の登録は2018年10月で109店舗になり、ウェブサイトで見ることができる。

*食べ残しゼロ協力店
次の6つの取り組みの内、1つ以上実践している市内の飲食店および宿泊施設。①食品ロス削減ポスターを掲示するなど食べ残しを減らす啓発をする。②適量注文を呼びかける。③宴会や会食での食べ残しを減らす30・10運動を案内する。④少量メニューなど、量を調整したメニューを提供する。⑤持ち帰り対応する。⑥その他(食べきった人にサービス券を配布するなど)。
ごみ処理の現状は?

ごみ非常事態宣言の前後から、粗大ごみの有料化、びん・缶収集の全市拡大、プラスチック製・紙製容器包装の収集と、次々にごみ減量対策を打ち出していった名古屋市。市民・事業者との協働により1998年から3年間で26%のごみ減量を果たしている。では、最近のごみ処理量はどうなっているのだろう。名古屋市が毎年出している「名古屋ごみレポート’18版」から20年間のごみ処理量と資源分別量、埋立量の推移を見てみよう。

<名古屋ごみレポート’18版より>

ごみ処理量等の推移

20年でごみ処理量は39%、埋立量は81%減っているものの、近年は横ばい傾向。ただ、人口が増えているので1人当たりのごみ処理量は緩やかではあるが減少傾向にはある。問題なのは、資源分別量が2007(平成19)年をピークに減っていることだ。

特に、ごみ減量を推進した要であったプラスチック製・紙製容器包装の分別量が大きく減っているという。プラスチック製容器包装の分別率はピークの67%(つまり33%はごみになっている)(2006年)から45%(2017年)まで落ち込み、紙製容器包装に至っては70%(2002年)から23%(2017年)まで減っているのだ。何が起こっているのか。名古屋市環境局減量推進室の担当者は、事業者の努力で容器が薄くなったり、過剰包装が減ったりしていることもあるが、市民のリサイクル意識が低下しているのではないかと懸念する。もちろん、ごみ非常事態宣言を知らない転入者や外国人、分別に苦労する一人暮らしの高齢者が増えているのも現実だ。また、2011年にプラスチック製品を不燃ごみから可燃ごみへと変更したことで、プラスチック製容器包装までも可燃ごみとして出される量が増えているそうだ。

市民の熱意でごみ減量

ここで改めて、2000年8月のプラスチック製・紙製容器包装の収集が始まった頃のまちの様子を思い出してみたい。当時は各戸収集ではなく、町内会ごとのステーション収集だったため、保健委員(現・保健環境委員)や町内会長が集積場所に立って分別指導をしたり、中には全世帯が当番制で立ち番をしたりする町内会もあった。また、収集もプラ・紙交互に2週間に一度であったため、下の写真のような町内オリジナルの置き場所を示すプレートもまちのあちこちに出現した。市製作のプレートが配布されたのは収集スタートから1カ月後。待っていられないと市民自らが動いたのだ。

当時の名古屋市環境局ごみ減量対策部長だった加藤正嗣(まさし)さんに筆者がインタビューした記事がある(2000年9月末)。

「8月の資源収集量は1年前の倍になったんですよ。新規収集分の増加だけではなくて、従来からやっていたびん・缶・紙パックも26%増えています。これは、相当ハードな分別をお願いしたものですから、他のことにまで市民の皆さんの気合いが入ったというような感じがしているんです。

ごみ自体もぐんと減りました。前年同月比で約2割の減量。資源に回った以上に減ったんですが、その要因の一つは、新聞・雑誌などをリサイクルステーションや集団回収などで資源化される方がぐんと増えたことにあります。容器包装を資源に回してごみ袋の中がガサッと減ったため、『今までちらしなどをくしゃくしゃと丸めてごみ袋に入れてたのが、何となく気がとがめるようになった』という声も伺っています」

市民のリサイクル意識が向上している様子がよく分かる。そして、ごみ分別だけでなく、ごみを元から買わない、もらわない発生抑制の意識へつながっていたことも当時のアンケートなどに現れている。

次世代へつなぐ思い

名古屋市と2R推進実行委員会* は、ごみ非常事態宣言20周年を記念して環境教材を収めたDVD・CDを作成し、2018年6月までに市内全ての幼稚園・保育園、小中高校、特別支援学校に配布した。この教材のタイトルは「次世代へつなぐ思い」。DVDの冒頭で、藤前干潟を守る活動の最前線にいた当時の「藤前干潟を守る会」代表・辻 淳夫さんのインタビュー映像が流れる(2005年に環境省が制作した映像から抜粋したもの)。

市の担当者は「20年の記録として、その頃の思いを次の世代に伝えたい。藤前干潟を守りたい、ごみを減らしたいと言い出したのは市民。市民が動かないと環境は守れないんです」と話す。

DVDには、他に、海のプラスチックごみの問題を取り上げてレジ袋削減を訴える曲(市環境局職員が作詞・作曲)やそれに合わせた幼稚園児、中高大学生の合唱・ダンスなどが収録されている。また、市内の小学校で実際に行われた4年生のモデル授業の様子も入っている。子どもたちはウミガメの絶滅の理由を自分の頭で考え、海のプラスチックごみの問題を知り、体育の表現運動の時間でウミガメになりきってその気持ちを想像する。DVDの冒頭で辻さんが語る「命のつながりの大事さ」に気づき、自分たちの行動につなげる教育の一環だ。DVDには授業で使える様々なスライド資料も入っているので、多くの教育現場で活用されることを期待したい。

*2R推進実行委員会
前身はレジ袋の有料化等に取り組んできた「容器・包装3R推進協議会」。市民、事業者、行政が協働し、2001年5月に設立。2017年6月に「2R推進実行委員会」に名称変更した。
思いの共有

もう一つ、2000年8月開始の資源収集に関して特筆すべきことがある。それは、市が同年4月から学区・町内会ごとに半年間で約2,300回の説明会を行ったこと。参加した市民は約214,000人に及んだ。またホットラインを設け、かかってきた電話は8月末までに12,000件、他の電話もかかりっぱなしで実際には数万件に及んだという。市民の一つ一つの声に耳を傾けた職員の姿、思いの共有があったからこそ、成果が得られたのではないだろうか。

ごみ非常事態宣言を知らない人が多くなり、市の担当者は新たに「出しやすく、分かりやすい分別方法や広報の仕方を考えなくてはいけない」と言う。そのためには市民の声を聞くことも大事だ。時代の節目に立ち、名古屋のごみ減量の原点を思い出し、新たな時代のスタートを切る。筆者が2004年5月にインタビューした辻さんの言葉をもう一度、心に刻みたい。

「藤前干潟は残りました。訪れた方々の心が癒やされ、いのちの輝きとつながりを体で感じ、そこから、私たちの暮らしや社会の在り方を見つめ直してもらうところとして。循環型社会への挑戦はこれからが本番です」