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新鮮な魚を生産者が漁港で直売!漁師町で続く地域起こしの取り組み~愛知県南知多町大井の「とれとれ漁師市」を訪れてみた~

三河湾に面した愛知県南知多町の大井。知多半島の先のほうにあり、昔から漁業を中心に栄えてきた小さな漁師町である。この地区で2012年から活性化を図ろうと、漁業者がその日の朝に獲った魚を漁港で販売する「とれとれ漁師市」が毎月2回、日曜日に開かれ始まった。新鮮な魚介が手ごろな価格で買えることから、地元の住民はもちろん、遠方からも多くの客が訪れにぎわいをみせた。今年も5月から10月まで市は開かれ7年目を終えたが、存続に向けて大きな問題に直面している。そのような状況のなかで、自分たちが暮らす町を元気にしたいと活動を続ける人たちがいる。大井を訪れ、見聞した市の様子や、運営に関わっている関係者の言葉などを伝えたい。

掲載日
2018-11-10
取材・文
新美 貴資
漁港が新たなにぎわいの拠り所に

大井は美浜町の河和(こうわ)と、大きな漁港や多くの釣宿があり、観光地としても有名な半島の先端に位置する南知多町の師崎(もろざき)を結ぶ途中にある。名鉄の河和駅から師崎行きのバスに乗り、三河湾に沿ってしばらく南進すると大井に着く。とれとれ漁師市が始まるまでは、南知多町といえば思い浮かぶのは漁業が盛んな豊浜や師崎、篠島、日間賀(ひまか)島などの地区や島で、これまでに何度も歩いた。大井のことは知らず、通り過ぎるばかりで来たこともなかった。市をきっかけに訪れるようになって、この地区の人びとと交わり、産物を味わい、親しみを覚えるようになった。

10月にあった今年度最後の市の様子を紹介する前に、7年前(2012年)の5月27日に開かれた第1回の市を振り返っておきたい。開催が事前にメディアで告知されたこともあって、予想を超える数の人びとが大井漁港に殺到し、混乱するほどのにぎわいをみせた。この時の取材ノートを読み返し、記憶を呼び起こしながら当時の様子を記してみる。

午前9時、市が始まる1時間くらい前に漁港に着く。駐車場には車がずらりと止まり、ナンバープレートを見ると名古屋が多い。会場には10軒くらい漁家のテントが並び、地元の農家やたまりの生産者なども開店の準備を進めている。店の前を争うように陣取る客。開始を待ちきれないいらだちから「魚が腐っちゃうぞー」「まだ売らんのかー」と声をあげ、漁師たちは「えらい(大変な)人だー」と不安そうな表情を見せる。売り場をのぞくと、ゼンメ(標準和名:ヒイラギ)、ワタリガニ(ガザミ)、アカシャ(サルエビ)、ヤリイカ、アサリ、タイラギなどの魚介類が並び、アナゴの干物やゆでたタコも。魚の他にも、おにぎりやみたらし団子、無農薬の野菜、たまり、豆味噌などがあった。これらは全て大井で生産されたもの、または加工や調理をされたものだ。

押し寄せる客があまりにも多いことから、市は予定を15分早めて一斉に始まった。売る魚の値段は、産地市場で取引される競り値を参考に生産者が決めた。小売店で買うよりも安く、獲れたばかりで新鮮なことから、魚は飛ぶように売れて接客が追いつかない。なかには魚を買うことができず、怒って帰ってしまう人も。開始から15分くらいで完売してしまう店もあり、歓声と怒声が入り混じる。魚を欲しがる人びとの熱気が漁港を埋め尽くす。正午近くになってようやく客が引いた。ぐったりと腰を下ろし、呆然とする漁師が発した「すごかった」との一言が印象に残っている。それからもにぎわいを見せていた市が、ここ最近は活気を失い低調が続いているという。一体なにがあったのだろうか。

存続に向けて直面するいくつもの課題

今年度最後のとれとれ漁師市が10月21日に開かれた。朝の7時頃、大井漁港に着く。天気は快晴。少し肌寒いが、すんだ空気が心地いい。はためく大漁旗の下、刺し網漁を行う漁師が家族と店を開く準備をしていた。何人かの客が、活かした魚が入っている水槽をのぞきこんでいる。現在の市は、売る準備のできた店から始まるが、この時点で開こうとしている店は1軒のみ。その後、底びき網漁を行っている1軒の漁家に2軒の農家、たまりや味噌とシイタケやキクラゲを売る生産者らを含め5軒の出店があった。店は少なく訪れる客は減り、市が始まった1年目のにぎわいとの違いに驚いた。

市は、この地区の活性化を目的に始まった。元は、漁業者が自分の獲った魚を、自分で値段をつけて売ってみたいと長年あたためてきた思いから動きだしたのがきっかけだった。漁業者による「魚を売る会」をはじめ農家、商工や観光関係者、有志で構成する大井まちづくり協議会などが話し合いを重ね、大井漁協の協力と町の行政の支援を受けて、開催にこぎつける。市は、漁業という目的外で漁港を使用することになる。また食べ物を販売することから、保健所の許可も必要だった。市の広報を担ってきたまちづくり協議会事務局長の石黒忠史さんは「計画をねって許可を得るのに2年くらいかかった」と振り返る。実現までにはいくつもの壁があり、それを一つひとつ乗り越える苦労があった。市の大きな目的はこの地区の活性化だが、魚屋が1軒もないなか、地元の人が魚を買うことができる場にしたいという願いも含まれていた。

今年に入り、3軒の漁家が健康上の理由で出店を止める。今は、後継者のいる残った3軒の漁家が中心となって市を続けている。「年齢とともに健康的に厳しくなるも、バトンタッチできる人がいない。みんなで協力してやってきたが、3年くらいすると客が減り、店の数も減ってしまった。そこにコウナゴやシャコなどの不漁が重なった」と、石黒さんは衰退してしまった市について語る。夜中に海で漁をし、朝から昼まで市で働くことは体力的に厳しい。この時期になると兼業でノリ養殖をする漁師もいて、その作業で出店できない漁家もある。店の数が減ったり、獲れる魚が少なかったりすれば、売る魚は減る。そうなると、魚を求める客も来なくなってしまう。さらに漁業者だけでなく地区全体の課題ともいえる高齢化と担い手不足が追い打ちをかけ、市の活気が失われてしまった。

元漁協関係者も、市がにぎわいを失った原因に、漁業者の高齢化と漁獲量の減少があると話す。大井の漁業就業者数は、最盛期の昭和50年代から半減し、平均年齢は60代の半ばくらいに達しているという。魚を獲る漁業だけでなく、ノリ養殖を行う漁家の減少も深刻で「温暖化により海水温が以前より下がらなくなり、ノリの養殖期間が短くなった。高値がつく年内の収穫時期も短くなって収入が減った」と話す。高齢化による体力の不安や収入の減少などにくわえ、ノリを加工する機械が高額なため、使えなくなったら更新せずに廃業してしまうケースがかなりあるという。市が直面する課題からは、多くの地域が抱えているであろう問題が見えてくる。

それでも市を続け交流をつなぐ

このような状況のなかでも出店をあきらめずに続けている人びとがいる。今年度の最後となるとれとれ漁師市に予定の店が出そろうと、少しずつ人が集まりだした。刺し網漁を行う漁家の店では、カワハギ、ワタリガニ、マダコなどが並び、丸々と太った大きなマゴチもいる。「カレイはこんだけー!」。漁師の太い声が響く。目の前の岸壁につけた漁船から魚を運んだり、接客をしたりと家族もみんな忙しい。笑顔で声をかけてくれたのは、いつも店を手伝っている漁師のお兄さん。「いつも常連さんが会いに来てくれる」とうれしそうに話し、手作りの商品であるハゼの甘露煮やトコロテンを試食させてくれた。

底びき網の漁師の店では、お母さんがせっせと魚を並べ、客に声をかけている。「アカシャは唐揚げが誠においしい。私も自信をもって売っている。色が違う。みんな生きているんだよー」。市に出ていてどうかとたずねると「お客としゃべると違う話が聞ける。毎回会いに来てくれるし、市に出るのは楽しいよー」と元気な答えが返ってきた。近くにいた女性客が「ここの魚はおいしい。奥さんの顔、覚えているよ。また来年来るわー」と満足の様子で買った魚を受け取る。たしかに店も客も減ったが、生産者と消費者が顔を合わせてゆっくりと話しができる、ゆるやかな持続した交流が今の市にはある。第1回から出店し、たまりや味噌を売っている徳吉醸造の沢田美稲さんは「7年間漁港を使い市をやってきたことは意義がある。それまで大井のことは誰も知らなかった。大漁旗があがっていると人が来てくれる」と笑顔で話した。

その時期の天候や漁模様によって、売り場に並ぶ魚の種類や量はまちまちだ。それが産地の魅力であり、この市に来れば伊勢・三河湾で獲れる旬の魚を知り、うまさを体感することができる。大井の人たちと交わることで、この土地のことや産物に興味がわいて、また来たい、味わいたいと思うようになる。店の人たちといろいろ話しているうちにどれもおいしそうに見えて、アカシャ、アナゴの干物、煮魚に相性抜群のたまり、サトイモ、ところてんの原料となるテングサを買い、おすすめの食べ方や調理法を教えてもらった。

「人をどうやって集めるか」「次の人をどうやってつくるか」。この2つが、日本の全国が抱える永遠の課題だという石黒さんの言葉を思い出し、考えさせられた。市が来年度も継続するかどうかは、まだ決まっていないという。小さな漁師町の人びとが立ち上がり、続けてきたこの取り組みが、大井の存在をアピールし、人を呼び込み、活性化をもたらしたことは間違いない。さまざまな苦労やたくさんの喜び、多くの出会いを重ねてきたとれとれ漁師市と、関わってきた人びとのこれからを見守りたいと思う。

参考URL「大井まちづくりネット」
http://ooimachidukuri.web.fc2.com/

※2018年度の開催は終了しました

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