ENVIRONMENTALCOLUMN 環境情報を知りたい方/環境コラム
愛岐の森でいのちがつながる、人がつながる 〜「愛岐の里山再生プロジェクト」と「つくろマイHashiプロジェクト」〜
名古屋市民が出したごみが最終的に埋め立てられる場所はどこか、ご存じだろうか。74%の埋め立てごみは多治見市諏訪町にある「愛岐処分場」に運ばれる(2008年度データ)。この一帯はかつて、森と棚田、畑が広がる里山だった。
名古屋市の用地買収以降、放置されていた埋め立て地周辺の里山(愛岐の森)だが、2004年、地元の諏訪町民と処分場職員によって、里山再生プロジェクトが始まった。そして今年、そこで伐り出した木材を使って箸をつくり、COP10に訪れた外国の人にプレゼントしようというプロジェクトも。
愛岐処分場から生まれた2つのプロジェクトは、実は、多様な人をつなげるプロジェクトでもあった。
愛岐の森育成会の誕生
愛岐処分場は、1978年に用地買収、82年に開設した。当初、10年後には埋め立てを終了し、公園にして地元還元をする約束だったが、次の処分場が決まらず、99年のごみ非常事態宣言を経て、愛岐処分場も延命し現在に至っている。2010年4月現在、87%が埋め立てられている状況だ。
埋め立ては谷を利用して行われ、尾根を隔てた反対側には、スギ・ヒノキ林、雑木林、棚田が放置されていた。竹は棚田まで侵食し、雑木林は生い茂って暗い森へと変わっていたという。
そこで2004年に誕生したのが地元の諏訪町民による「愛岐の森育成会」。処分場開設以来、定期的に開催されていた地元町内会との会合で、「この森を使って楽しみながらやれることはないか」と意見が出たのだ。
最初は竹やぶの整備から。伐った竹はチップにして撒いたり、06年には炭焼き窯をつくって、竹炭づくりも始めた。伸びきったスギやヒノキは間伐して、橋やベンチにした。
「棚田まで竹やぶになっていたので、最初は田んぼに戻せるとは思わなかった。手入れをするうちに元の形が表れてきたので欲が出て……」と、初代会長の河地武彦さんが言うように、棚田も復元。07年からソバやサツマイモを育て、菜の花やレンゲの種も蒔き、今年は田植えも行った。
里山のいのちのつながり
生い茂った森を間伐し、林床に日が差し込むようになると、ショウジョウバカマやカンアオイなどの植物が増えてきた。カンアオイは「春の女神」といわれるギフチョウの食草。里山を象徴するチョウが愛岐の森の春を告げている。
わずかに残っていたササユリは、種を採って蒔き、間伐と草刈りで日当たりが良くなったおかげでずいぶん数が増えてきた。
伐ったクヌギは、シイタケの菌を打ってほだ木に。切り株からは新しい芽を育て、何代にもわたってその材を利用する里山の技(萌芽更新)が復活した。切り株はいずれ朽ち果て「うろ」となり、小動物のすみかにもなるという。
かつて、里の人々の暮らしを支える燃料や食料、生活材料を得る場として利用してきた里山は、多様な動植物がつながりあって暮らす場所でもあった。愛岐の森も30年ぶりに人の手が入り、里山のいのちのにぎわいを少しずつ取り戻しているようだ。
里山の人のつながり
愛岐の森育成会の活動は月に2回ほど。地元の人が約35名、その他、処分場の職員や09年からはなごや環境大学プロジェクトチームも加わり、ともに汗を流している。
地元の人はサラリーマンがほとんどだが、昔は山仕事や畑仕事をやってきた人たちが多いので、昔ながらの里山の知恵を若い人たちに伝授する場になっているとか。若い人から80代まで、世代を超えた交流にもなっている。
世帯数50弱の諏訪町。昔は田んぼの水取りなどでもめることもあったというが、町内をまとめることを目標に、防災訓練をして炊き出しをしたり、ビオトープをつくるなどの取り組みを行ってきたことが基盤になり、この活動もますます盛り上がりを見せているようだ。
「みんなでわいわい言いながらの作業は楽しいよ。この日が来るのが毎回楽しみで」。女性陣も作業の合間の井戸端会議に花を咲かせている。
環境学習の場としても
今年5月29日、なごや環境大学と中日新聞との共催の特別講座「ビバちきゅうきょうしつ〜生物多様性を育む自然を感じよう〜」が、愛岐の森で行われた。小学4年から中学3年までの26人が参加。名古屋とその近郊の子どもたちで、多治見市からの参加もあった。
グループに分かれて、午前中は田植え、シイタケの菌うち、植樹*、たけのこ掘りと盛りだくさん。それぞれの講師は育成会のメンバーだ。恐る恐る田んぼに足を入れた子どもたちも、田植えを始めると「楽しい! これはハマる」と元気いっぱい。教える育成会のメンバーも「初めてにしては上手だね」と会話も弾む。
お昼は育成会の女性たちが、たけのこご飯のおにぎり、朝採りたけのこの味噌あえ、豚汁、サンキラ餅を用意。さらに処分場の職員が、愛岐の森の炭で焼きそばと掘りたてのたけのこを焼き、子どもたちは里山の恵みを味わった。
午後は里山ビンゴゲーム。ビンゴカードのマスに入った「きのこ」「カエル」など里山の動植物を探しながら散策。里山の自然とふれあった。
ため池から棚田に水を引き、小川が流れ、スギ・ヒノキ林、雑木林、竹林、果樹園を抱くコンパクトな里山、愛岐の森。そして、尾根筋からは愛岐処分場が見下ろせる。人の暮らしとつながる里山の自然を体感できるのはもちろん、過去のごみ問題を振り返り、未来の暮らし方を考える絶好のフィールドである。
今年は秋にも小中学生を対象にした講座を実施し、今後も環境学習の場として活用していく予定だ。
* 愛岐の森の実生(林床に落ちたタネが発芽したもの)のスギ、ヒノキ、コナラなどの稚樹を掘り出し、埋め立て地の土手に移植。
間伐材の箸が「架けはし」に
愛岐の森で間伐したヒノキやスギを使って箸をつくり、今年10月に開催されるCOP10に訪れる外国の人にプレゼントをしようという「つくろマイHashiプロジェクト」も新たにスタートした。コアメンバーは、名古屋で環境活動を行っている市民や団体、木材関係の企業、名古屋市リサイクル推進公社・愛岐処分場の職員など。市内各所に工房を設け、箸のほか、端切れで箸袋もつくり、My箸として、メッセージとともに手渡す予定。
「ただ箸を渡すのではなくて、モノを大切にする暮らし方、自然を愛する心など、メッセージを伝えることが目的です。箸が“里山とまち”“人と人”“名古屋と世界”の“架けはし”になるといいなと思っています」とメンバーは話す。
つくる過程で人がつながる
このプロジェクトの特徴は、つくる過程で多様な市民を巻き込み、手を動かしながら生物多様性やそれにつながる自分たちの暮らしについて語り合えること。
「いろんな人が、いろんな関わり方ができる。そして関わることで新しい発見をしています。自分がこんなことできたんだ、あの人がこんなことやれたんだと。特技を持ち寄って、仲間が増えていく喜びを感じています」
いろいろな人が関われるように、工房も様々。名古屋市リサイクル推進センター、リユースステーション「エコロジーセンター Re☆創庫」、玄米菜食カフェ「バオバブ」、多世代の交流スペース「まちの縁側MOMO」、地域のコミュニティーセンター、天白社会福祉協議会在宅サービスセンター、小学校PTA、中学校生徒会などなど*。工房も参加者も芋づる式に増え、5月末現在で延べ参加人数は約200人に達したという。
企業として参加しているのは、南区(本社)にある名古屋港木材倉庫株式会社。名古屋港における輸出入木材の港湾運送業や木質系廃棄物のリサイクル業などを行う会社だ。この会社が所有する南区内の旧貯木場は、愛岐処分場の埋め立て開始頃に、名古屋市南部地域の不燃ごみの最終処分場として、愛岐処分場と同様に埋め立てが行われたり、現在も市のごみ焼却工場から出る灰の埋め立て処分場として使われるなど、名古屋のごみ行政に大きく貢献している。
この会社では、事務所のあいているスペースや研究所敷地内のログハウスに、箸づくりキットを常備し、社員が業務の合間に自由に制作できる環境を整えた。若い社員を中心に10名ほどが入れ替わり立ち替わりで作業をしているという。
「木材を扱う会社とはいえ、なかなか木材に触れる機会はなかったんですが、カンナがうまく使えるようになると楽しくて、和気あいあいと進めています。また、プロジェクトのミーティングでは、なかなか知り合うことができない人たちと接し、刺激を受けています」と、プロジェクト担当の小栗達也さん。すぐに箸の材料がなくなるので、大量に補充をする状況。率先してプロジェクトのホームページを制作するなど、会社として意欲的に関わっている。
COP10の後も・・・
手芸好きの主婦、男性フォークシンガー、地域住民、中学生……今までは環境活動をしたことがない様々な人たちが、My箸の材料を手に語り合う。手仕事からコミュニケーションが生まれているのだ。
生物多様性とは「様々な個性をもった生きものが存在し、それらが支えあって生きていること」。生物多様性について話し合うCOP10をきっかけに立ち上がったこのプロジェクトでは、「様々な特技を持った人たちが、出会い、心をつなげている」。
COP10までの目標は「1000膳のマイ箸、1000のつながり」。しかし、このプロジェクトはそれで終わらない。COP10後に、このつながりがどのように展開していくか楽しみだ。