ENVIRONMENTALCOLUMN 環境情報を知りたい方/環境コラム

小さな田んぼも大きな田んぼも、生きものでいっぱい 〜田んぼが育む生物多様性〜

取材・文 吉野 隆子
  • 自然

「生物多様性という言葉は知っているけれど、意味が分からない」…こんな声を何度聞いただろう。名古屋市が昨年行ったアンケートでは、「生物多様性という言葉を知っている」とこたえた人63.1%、「生物多様性の意味を知っている」とした人は19.5%だったことからもわかる。
その一方で、幼稚園や保育園の小さな小さな田んぼや、名古屋周辺の田んぼでは、COP10に向けてはじまった生物多様性を体感する取り組みが始まっている。名古屋ではもしかしたらおとなより先に、幼稚園や保育園の子どもたちの方が、「生物多様性」の意味を感覚的に感じ取っているのかもしれない。

街じゅうで稲づくり

名古屋市内の35の幼稚園や保育園で行われているのが、バケツを使って「街じゅうで稲づくり」する事業だ。2010年に名古屋で開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向けた取り組みのひとつとして、名古屋市・JA愛知中央会・社団法人名古屋建設業協会が協力して取り組んでいる。

協力園を募集したところ、予定の20園を大幅に超える応募があった。4月末に行った先生方を対象とした講習会には、ほぼ全員が参加、講師を務める「耕さない田んぼの学校エコたん」主宰の高山博好さんの話に聞き入っていた。

高山さんの持論は、「子どもはほめて育て、強い苗を育てるためには『いいこいいこ』と苗をなでて育てる」。会場では、「一日何回なでればいいのか」など、熱心な質問が続出した。ベランダや園庭ですでに野菜づくりに取り組んでいる幼稚園や保育園でも、米づくりは初めてという園が多いから当然かもしれない。昨年米づくりをした保育園の先生でさえ、「見ていて大変そうだったので、担当に決まったとき、あまり気が進みませんでした。でも高山さんの話をうかがって楽しみになりました」と話していた。

生きものたくさん見つけた

最初の作業は、種もみを水に浸して芽出しをすること。1週間程度で芽が出たら、土を入れたバケツの中に植えて、苗を育てる。田植え前には、先生や子どもたちの疑問に答えるため、高山さんが幼稚園・保育園を回った。

バケツの水の中にいる生きものの話は、子どもたちの好奇心に火をつけた。自分の名前が記してあるバケツを抱え込むようにしてのぞき、たちまちのうちにイトミミズ・カイエビ・ミジンコ・タニシなどを見つけ出す。

「この虫は何?」
「これタニシだよね?」

高山さんは質問攻めだ。

「子どもたちはバケツの中にたくさんの不思議があり、生きものが豊かなことを自分で見て発見している。反応はとてもいいですね。バケツ稲作を通して、子どもたちに農業に興味を持ってもらえたらと願っています」

母親たちからは、「子どもにとって米はスーパーに並んでいるもので、どうやってできるか知らなかったけれど、最近は田んぼを見ると『これお米だよね』と言うようになりました」 「園で自分の手で作った野菜は嫌いなものでも食べる。米を作ることで米に対する考え方が変わってきたなぁと感じます」という声が聞かれた。

幼稚園や保育園側も、お迎えのときにお母さんと一緒に稲をなでる子どもの姿を見たり、近所の人の「すごい!保育園で稲を育ててるよ」という声を聞いたりすることから、バケツ稲づくりが園児の親や近所の人たちを巻き込むコミュニケーションツールとなる可能性を感じているという。

田植え前。同じバケツで苗を育てている。子どもたちは生きもの探しに夢中

バケツの中は小さなビオトープ

6月中旬には、苗の中からしっかり育ったものを選んで田植えをした。これまで同じバケツで育ててきた苗を、根を切らないようにそっと抜き取り、がっしりした太い苗を3本選んでバケツに植え替える。これがなかなか難しい。根っこを切ってしまう子や、泥をかきまぜているうちに苗が行方不明になってしまう子も現れるが、苗がたくさん育っている子から分けてもらい、何とか田植え終了。

バケツの中は稲が育っていくとともに、イトミミズやミジンコなどたくさんの虫が活動する小さいながら豊かなビオトープとなっていく。生育状況や稲周辺の生き物の様子は、市のホームページで発信されている。

収穫前の9月20日には、稲が実ったバケツを名古屋市中心部にあるセントラルパークに一斉に集め、バケツ稲の大きな田んぼを作る予定。園児1000人の育てた稲が、街の真ん中に大きな田んぼを形作る。

「おおきくなぁれ」と稲をなでる子どもたち。毎日の習慣になっているという
高山さんに田んぼの生きものの話を聞き、自分のバケツを真剣にのぞきこむ
「これは稲に似てるけど、ヒエっていうんだよ」子どもたちの質問にていねいに答える高山さん
厚生第2保育園の園庭に並んだバケツ稲。元気に育っている

生きもので田んぼがにぎわう

4年前から愛知県日進市で、田んぼの体験講座を運営している日進野菜塾。代表の熊谷正道さんは、昨年の田植えのとき、たくさんの人がバケツをのぞき込んではしゃぐ姿を目にした。「一緒にのぞきこんだら、小さくてきれいな生きものがたくさん泳いでいました。子どもは『田んぼの中にたくさんいるよ』と教えてくれた。でも、その生きものの名前を知っている人は誰もいなかった。後で調べてみたら豊年エビでした」

熊谷さんはこの経験をきっかけに田んぼにたくさんの生きものがいることを意識するようになり、今年は仲間を募って県内各所の田んぼで生きもの調査に取り組んでいる。

日進市役所のすぐ近くにある、日進野菜塾がフィールドとしている田んぼは、生きものでいっぱい。あぜ道に一歩踏み出したとたん、蛙が跳ねて田んぼに飛び込み、稲の上をさまざまなとんぼが飛び交う。水面をアメンボやゲンゴロウが泳ぐ。田んぼをのぞくと、オタマジャクシやヤゴはもちろんのこと、ユスリカやミジンコ、イトミミズ、豊年エビ…。今年一部で話題になっている白いおたまじゃくしアルビノの姿も。

さまざまな鳥もやってくる。田んぼにうかがった日は、キジが「ケンケン」と独特な声で鳴いていた。セキレイや鷺も田んぼの生きものを餌にするためにやってくるし、時には大鷹も上空を飛んでいく。目をこらせばこらすほど、たくさんの生きものの姿が浮かび上がってくる。

「生きもの調査をすると、様々な条件をくぐり抜けて生きものが存在していることに驚かされます。これまでは田んぼに入っているのに気付かなかった。

機械化が進み、田んぼに入って作業することが減ったため、農家でさえ田んぼの生きものにまなざしを注ぐことがほとんどなくなっています。一緒に生きもの調査をすると、『こんなに生きものがいるんだね。びっくりした』と驚かれることもよくあります。生きものを見る『まなざし』を持っていないと、すぐ近くにいても見えないんですね」(熊谷さん)

まずは田んぼの畦を歩いて観察する。歩を進めるたびにカエルが田んぼに飛び込む
道具のほとんどは百円均一のお店で調達。小さな網を手に田んぼの水をすくっては透明な容器に移し、生きものの姿を探す

田んぼが育くむ生物多様性

田んぼにはどれくらいの生きものがいるのだろうか。今年2月に出版された『田んぼの生きもの全種リスト』には、虫・魚・植物から鳥や菌類まで含め、6147種の生きものが掲載されている。地域によって分布の状態は変化するが、田んぼにはこれだけたくさんの生きものを育む力がある。そして、その生きものたちは増えたり減ったりすることで田んぼの状態を教えてくれる。害虫が現れても、その虫を食べる虫が田んぼにいて、その虫をまた食べる鳥がいるというように、田んぼの中で食物連鎖が成立して生きもののバランスがとれているなら、虫の被害は広がらない。田んぼの生物多様性がおいしい米を育む力となる。

タモ網を手にして田んぼに入り、蛙を追いかけ歩き回ることは、本当に楽しい。田んぼに入って生きものを見つけるのが楽しいのは子どもだけではないし、その豊かさに触れることは私たちのDNAに刻み込まれた純粋な喜びなのだろう。

生きもの調査が広がっていくことで、市民は田んぼの豊かさに気づき、農家は田んぼを眺める時間が増え、生物多様性に満ちた田んぼが増えていくに違いない。