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ごみ非常事態宣言から10年 〜名古屋の熱い日々を振り返り、これからを見据える

取材・文 吉野 隆子
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今年2月、名古屋市は「ごみ非常事態宣言」から10年の節目を迎えた。非常事態宣言からの10年をどう振り返り、これからどんな循環型社会の実現を目指していくのか。去る2月7日に行われた「ごみ非常事態宣言10周年シンポジウム」の内容を追いながら、考えてみたい。

非常事態からの脱却

10年前の1999年、名古屋市のごみ処理量は年を追うごとに増え続けていた。埋め立て処分場は3か所あったが限界近くまで達していて、新たな最終処分場を作ることが緊急の課題となっていた。

最終処分場建設の候補地として名前が挙がっていたのが藤前干潟だ。藤前干潟はこの地域有数の渡り鳥の飛来地となっていたから、「一度干潟を埋め立ててしまえば、二度と同じ環境を作ることはできない」と、市民が保全を呼びかける声が高まった。

この問題がきっかけとなり、名古屋市は1999年2月に「ごみ非常事態」を宣言した。この宣言で名古屋市は、処分場を作るために干潟を埋め立てるのではなく、ごみを減らす努力をするという方向に転換する宣言をした。掲げた目標は、2年間で20%、20万トンのごみ減量をするということ。この大きな目標を果たすためには、徹底的な分別とごみ減量が必要なことは明らかだった。

目標を実現のために、市民・事業者・行政の協働作業が始まった。びん・缶収集の全市拡大、家庭ごみ指定袋の導入、学区回収やリサイクルステーション、紙製・プラスチック製容器の分別収集と、取り組みは広がっていった。そして、ごみ処理量3割減、埋め立て量は6割減という成果を挙げることができた。

10年間の市民によるさまざまな取り組み

非常事態宣言10周年を振り返り、次につなげるための契機として、2009年2月7日「ごみ非常事態宣言』10周年シンポジウム 〜ごみ減量のこれまで、これから〜」と題したシンポジウムが行われた。

第一部のリレートークでは、10年の間さまざまな形で名古屋のごみ問題にかかわってきた8人が登場し、なごやの熱い日々から今日に至るまでを、それぞれの立場から振り返った。その内容から、当時の市民の動きが見えてくる。

第1走者 辻 淳夫さん(NPO法人藤前干潟を守る会理事長)
私が鳥の観察を始めた1970年ごろから干潟がどんどん減っていって、名古屋周辺で残っていたのは藤前干潟だけでした。
藤前干潟を守る活動を始めたころ、私たちは渡り鳥のことだけを考えていました。でも、渡り鳥の食べているものについて考えてみた。餌のプランクトンは森の栄養が海に来て、育った植物プランクトンを動物プランクトンが食べて、それが小魚などの栄養源になる。渡り鳥はこの小魚を食べることで生きています。一方、干潟で育った魚は伊勢湾に出ていき、私たち人間の食料になる。この繋がりが見えてきたとき、干潟の生き物は特殊な生き物ではなく、私たちの生存するための基盤である食を支えていることに気づきました。干潟は私たちの食べ物につながる循環の輪の中に位置しているから、干潟を守ることは「鳥か人間か」ではなく、「鳥も人間も」生き残るための選択でした。それを名古屋市に理解していただいたことが、藤前干潟を残すうえで大きな力になったと思います。干潟を守る運動に取り組む過程で、「自分のごみで干潟を埋めるのはいや」という声をたくさんいただいたことがうれしかった。
これからも藤前を見つめ、ごみ減量に取り組んでいきたいですね。

第2走者 加藤玲子さん(名古屋市地域女性団体連絡協議会会長)
私たちは琵琶湖に赤潮が発生したころから環境問題に興味を持って、勉強会をしていました。そうした中から主婦の視点を生かして、6か条の「ごみ問題への取り組み宣言文」を作って、ごみ問題に取り組んできました。
1. トイレットペーパーをはじめ、再生品の使用を心がけます。
2. リターナブルびんをはじめ、リターナブル商品を使います。
3. びん、空き缶が軽く洗ってから、資源回収に出します。
4. 生ごみを出さないよう、料理の際には捨てない工夫を心がけます。
5. 買い物に行くときは袋を持参し、レジ袋などは辞退します。
6. 家の掃除に何回も使える雑巾を使用し、使い捨て商品は使いません。
これ以外にも「地域生き生き世話焼きおばさん」として、バザーを開催して不用品を生かし、古い布などを使ったリサイクルバッグ作りにも取り組んでいます。

第3走者 鈴木鉄雄さん(名古屋リサイクル協同組合顧問)
分別回収が始まったとき、集まってきた資源を選別する事業を名古屋リサイクル協同組合が引き受けたのですが、開始当初の分別状態はひどいものでした。そして、驚くほど量が多かったですね。
当時は紙なら何でもリサイクルできると勘違いしていた方も多く、使用済のおむつやたばこの吸い殻だけが出されたこともありました。それがいま、紙製容器の回収率は6〜7割となり、名古屋は全国でもトップレベルになっています。

第4走者 藤野賢吉さん(名古屋市保健委員会会長)
名古屋市保険委員会は、分別の指導をしていました。そのために行政の指導のもと、毎日のように勉強会をしていました。
回収を進めるため、収集カレンダーや「ごみの達人心得帳」なども作りましたが、それでも保健委員さんが分別できていないものを持ちかえって、家で分別するようなことが頻繁にあったようです。
最近、地元の緑区では、レジ袋の有料化にいち早く取り組みましたが、反発どころか、9割削減という成果が上がったのには驚きましたね。10年間の成果です。

第5走者 佐藤智子さん(元平和が丘学区リサイクル推進委員会委員長)
中部リサイクル運動市民の会の萩原喜之さんの呼びかけを受けて、名古屋市のごみが100万トンを超えた年に、平和が丘学区でリサイクルステーションに取り組みはじめました。市民がリサイクルステーションを自主的に行った、最初の例だそうです。
当初から地域の多くの方の協力を得ることができ、回収量も徐々に増えていきました。平和が丘学区は住民が協力的という地域性があるうえ、回収用かごの配布に消防団にもご協力いただいたことで、実現することができたのだと思います。

第6走者 山本幸太郎さん(新大門商店街振興組合理事)
青年会議所の環境委員会に所属していた時のことですが、中日新聞の「ごみを見に行こう」という記事を読みました。すぐに平和が丘を見学に行って、「これだ」と思ったのです。
新大門商店街は衰退の一途にあったのですが、お祭り好きのメンバーが盛り上がってリサイクル運動に取り組むことになりました。そして、周囲に「私もやりたい」という声が広がっていき、次から次へバトンを渡していくことができたのです。

第7走者 渡辺 豊さん(ドイツ環境先進都市名古屋市民視察団参加者)
名古屋市の視察団の一員として、環境先進都市であるドイツのフライブルグを訪れました。フライブルグは環境問題への取り組みに30年の歴史がある都市です。街の規模は名古屋の10分の1ですが、学ぶことはたくさんありました。また、学ぶことだけではなく、名古屋が進んでいる部分もあることを知りました。
自分自身も住宅管理事業に取り組んでいるので分別収集の大変さはわかっていますが、うまくいかない原因のひとつは、ごみを出す側がごみの出し方についての情報を「知らない」ことだと思っています。伝えれば変わります。あきらめないで粘り強く伝える努力が大切です。

第8走者 唐木志穂さん(OSHARECO)
自分のような若い世代が集まって、「おしゃれでエコ」というコンセプトでOSHARECO(おしゃれこ)と名付け、ごみや環境問題に「ものすごくかわいく」アプローチしています。
具体的には、使い捨て容器を使わずに自分で容器を持って行ってお店でお茶を入れてもらったり、街歩きをしてエコを探したりしながら、楽しみながらエコに取り組んでいます。
いろいろなつながりの中で生きている感謝の気持ちを、還元していきたいと思っています。

シンポジウムは10年の流れをコンパクトにまとめた映像で始まった
中央が藤前干潟を守る会の辻淳夫さん。左は聞き手をつとめたCBCアナウンサー小堀勝啓さん、右は中日新聞論説委員の飯尾歩さん
新大門商店街進行組合の山本幸太郎さん
元気いっぱいな唐木志穂さん

循環型社会実現へ

10年でここまでごみ処理量を減らすことができたのは、ごみと資源を分別して生かすことができたから。しかし、ごみ処理量と資源分別量を合わせた総排出量は、2004年度から横ばい状態にある。総排出量を減らしていくことが、これからの大きな課題となっている。

名古屋市は10周年を契機に市民ともう一度ごみ問題を見直し、次の10年に踏み出すきっかけにしたいとしている。2月のシンポジウムもそのひとつだが、愛岐処分場にこの10年間の取り組み記したモニュメントを作った。このモニュメントは、大学生が自主的に集まって環境活動をしている団体「名古屋ユニバーサルエコユニット」へ名古屋市が依頼して作られたもの。名古屋市内の美術系の大学生に声をかけてコンペを開催し、デザインを決めた。

このモニュメントに彼らがこめた思いが2つある。ひとつは名古屋の市民がごみ減量を達成したことへの感謝の気持ち。もうひとつは、愛岐処分場を拡張してくれた多治見市への感謝。感謝の思いを表現しつつ、このモニュメントを作って終わりではなく、これからのごみ減量にもつなげたいと考えた。そして生まれたのが、「誓いのモニュメントGrowbe(グロウブ)」だ。

地球や環境を表わす球体が、地元の名古屋と多治見の地面に足を着けるように土の上に置かれている。この球体は土でできていて苔で覆われているが、これから多治見の森のさまざまな植物の種が飛んできて根付いて育っていく。どう育っていくかはわからない、成長していくモニュメントだ。これを見ながら、「ごみを減らさなければ」という思いを持ち続けてほしいという、学生たちの思いがこめられている。

名前は成長するという意味の「grow」に、存在するという意味の「be」を加え、「ずっと成長して存在してくれるように」という意味を持たせているのだという。

このモニュメントが設置されている愛岐処分場の一角に残る里山や棚田の跡を、なごや環境大学を中心とした市民の参加で里山として再生しようという構想もある。

今後、名古屋市はリサイクル以前の「ごみを減らす」行動に重点を置いていく。ごみも資源も元から減らし、ごみの中に混ざっている資源を分別して資源化する。さらに、ごみも資源も最後まで生かしきっていくことができれば、さらなる循環型社会に歩みを進めることができるだろう。

誓いのモニュメントGrowbe。すでに完成しているが、完成前だったのでコンピュータグラフィックによる画像

次の10年に向かって

最後に、2月のシンポジウムの第2部で行われたパネルディスカッション「循環型社会を目指した新たな挑戦」の様子も少しお伝えしたい。次の10年に向けた思いがこめられたパネリストの発言に、私たちが何をすべきか、考えるヒントがこめられている。

□松原武久さん(名古屋市長)
リレートークを聞いて、たくさんの方にお世話になってきたことを改めて感じました。市民と行政の協働は非常事態から始まりましたが、名古屋スタイルの協働として定着しつつあることを感じています。4月からのレジ袋全区有料化もそのあらわれ。平成32年度にごみ46%削減、埋め立ては0に近づけるという目標も、行政と市民が議論しながら作った計画です。ハードルは高いですが、支えてくださる市民のみなさんがいるから何とかこの目標を達成できると思っています。
今後は市長から生活者に戻って、気づいたことを行政にぶつけていきます。

□東 珠美さん(椙山女学園大学現代マネジメント学部教授)
非常事態宣言の頃からごみ問題にかかわってきましたが、当時からレジ袋有料化に至るまで、まさに市民・事業者との協働であり、それを行政が上手に調整して今があると思っています。
私たちが今すぐにできることは、買い物行動を変えること。売れるものが生産されるものですから、消費者が環境にいいものを選択すれば、それが市場に残っていきます。
先駆的な企業を支えることも市民の大切な役割です。名古屋市民のすばらしい力をさらに結集させて、次の10年、20年に向けて、こうした取り組みがさらに広がっていきますように。

□百瀬則子さん(日本チェーンストア協会環境委員・ユニー環境社会貢献部長)
ごみの60%は容器包装ですから、スーパーも原因の一部を作ってきたことを痛烈に感じています。「使わなくていいものは使わない。どうしても使わなければならないものは店に返していただいてリサイクルする。回収しきれないものは自然に還っていく素材を使う」。このような考え方に基づいた商品を、消費者に支持していただけたらとごみをもっと減らせます。
子どもたちにいっしょうけんめい伝えていけば、当たり前に環境のことを考える大人になっていくはず。楽しくてちょっとやるとお得な環境活動が、お店屋さんの中で広がっていくといいですね。

□野口翔平さん(なごやユニバーサルユニット副代表)
自分たちは分別が当たり前のようにして育ってきた世代。分別社会に至るまでの過程の苦労を、今日初めて知りました。次はリサイクルからリデュースの世界に変えていきたいし、自分たちはもっとちゃんとリデュースできると思っています。
このシンポジウムに参加して、政令指定都市レベルでトップがこれだけ市民とコミュニケーションをとっているのはすごいと感じました。これが環境だけでなく、教育や福祉・医療の分野にも広がって根付いたらと想像して、わくわくしながら話を聞いていました。

□萩原喜之さん(中部リサイクル運動市民の会理事)
リレートークを聞いて、改めて名古屋はすごいと感じました。この集まりは行政主催ですが、市民が中心になっていることが感じられます。
非常事態宣言で得たものは、「繋がりと誇り」だととらえています。でも、10年経てば風化して人も入れ替わっていきますから、これから「繋がりと誇り」をどう紡いでいくかが課題です。
4次計画にも書かれていますが、名古屋オリジナルなやり方として、どちらかが負担するのでなく、レジ袋のようにお互いの信頼で支え合う形も可能なのではないかと思っています。

パネルディスカッション「循環型社会を目指した新たな挑戦」
松原武久名古屋市長
会場に感動を与えた名古屋エコユニバーサルユニットの野口翔平さん